本日のAmazonタイムセール

1990年代はどんな時代だった?

ガングロギャル

なおえもん

まいど、なおえもんやで
人は「生きた時代」によって経験する事、見る物が全く異なります。

私が小学校の高学年であった頃は、日本はバブルの真っ只中でした。
バブリーダンス
当時、子供であった私は社会との接触がなく、何の実感もないままバブルは崩壊していきました。

それでも「激動の90年代」を10代の若者として丸々過ごした経験は非常に貴重であると思います。

そこで本記事では
  • 90年代はどんな時代であったのか?
  • 90年代はどんな社会であったのか?
  • 90年代にはどんな文化や風習があったのか?
  • 90年代と今では何が違うのか?
等々、書き記しておきたいと思います。
高校生のさかなクン

90年代初期はみんなが活き活きとしていた

平成の幕開けと共に始まった1990年代。

90年代初期の街並みや日本人の様子を高画質で見てみましょう。
1992年の超高画質映像
これを見て多くの人は「みんなが生き生きと生活しているなぁ」と感じると思います。

90年代序盤に小学生~中学生であった私としても、世の中に元気があり、明るい雰囲気が蔓延していたと感じます。

今ではどこも廃墟と化してしまった市場や商店街ですが、当時はたくさんのお店が営業していました。

学校も、人々も、親族も、みんな活気に満ちあふれていた気がします。

子供だったからそう感じていただけかもしれませんが、若い人も映像を見て「活気がある」と感じるという事は、やはり「活き活きとした時代」だったんだと思います。

なおえもん

将来の不安を全く感じない空気感

90年代までは日本全国に遊園地があった

バブルの遺産とも言えるのかもしれませんが、90年代~00年代辺りまでは全国各地に遊園地・テーマパークがありました。
90年代はバブル崩壊の不景気に揉まれ、日本全体の元気が無くなっていきました。
今はなき90年代の遊園地
スペースワールド開園と閉園
こういうのを見ると世の中は便利になったとは言え、逆につまらない社会になっていっている気もしますね。

なおえもん

全国各地に遊園地があった時代

90年代までは全国各地に巨大迷路があった

全国各地に遊園地があったことはわりかし知っている人もいるかもしれませんが、実は80年代~90年頃においては巨大迷路ブームが起きており、全国各地に100を越える迷路がありました。

なおえもん

あっという間に無くなった

ゲームが急進化を遂げる

私が10代を過ごした90年代はマリオやドラクエ、ファイナルファンタジー、ポケモン、ストリートファイター等々、有名タイトルが次々とシリーズ化していった時代です。

以下のアニメは私と同い年の設定であり、主人公の成長と共にどんなゲームが発売されていったのかが克明に描かれています。

ゲーム関連ビジネスも栄える

80~90年にかけてはファミコンが天下を取っていた時代です。

その影響もあり、中古のゲームショップ(ファミコンショップ)が急増していきました。

当時はゲオやブックオフ、古本市場などない時代。

これを契機として様々なゲーム関連ビジネスが誕生していきました。

一時期はゲームソフトをレンタルできる「レンタルファミコンショップ」というものもありました。

これらの店内にはテレビとゲーム機が置いてあり、1時間数百円で試しプレイをする事もできました。

またゲーム機の進化も著しく、94年末には「プレステ」や「セガサターン」など高性能なゲーム機が次々と開発、発売されゲーム市場はさらに拡大していきました。
プレステの誕生
ゲームを巡り強盗や殺人が起こる
ゲーム市場は活況を呈していましたが様々な問題もありました。

人気ゲームが発売されても即完売したり、運良く購入できた子供もゲームを強奪されるなどの事件も起こりました。

また兄弟間でゲームのプレイを巡っての喧嘩になり殺人事件も起こりました。

駄菓子屋とゲーム

駄菓子屋筐体 今ではほぼ絶滅しましたが、1990年代は駄菓子屋が町中の至るところにありました。

個人宅の一階が駄菓子屋だったり、小さな商店街や市場などで営業しているお店もありました。

駄菓子屋の前にはオレンジ色のアップライト筐体(きょうたい)というビデオゲーム機がある店が多かったです。

当時はこの様なゲームが数十円~プレイできていました。

しかし駄菓子屋の消滅と共に、これらは姿を消していきました。
レトロゲーム駄菓子屋
ガチャガチャの由来
現在ではショッピングモールなどにまとめて置かれているガチャガチャですが、元々は駄菓子屋や文房具店の前にありました。

ゲーセンも活況

今でこそ全盛期の1/5まで衰退してしまったゲーセンですが、90年代は駅前の雑居ビルにも個人経営の小さなゲーセンが沢山入っていました。
90年代初期のゲーセン
90年代初期のゲーセン
また私が高校生になった95年頃には「音ゲー」や「プリクラ機」なども誕生していきました。
プリクラ誕生秘話

なおえもん

ダンスダンスレボリューションなども

女子高生が注目を浴びる

1990年代は良くも悪くも女子高生が注目された時期です。
平成女子高生まとめ
Wikipediaより

「女子高生」が文化として着目されたのは1990年代だと言われている。

女子高生の文化にマスメディアが焦点を当て、テレビなどでトレンドや新しいムーブメントとして紹介されたこと、ブルセラや援助交際などの社会的な問題などがあって「女子高生ブーム」が起きたと言われている。

1993年8月、全国でブルセラショップの摘発報道が一斉に開始し、ルーズソックスやミニスカート制服の流行、ポケベル・携帯電話などの新しいコミュニケーションツールの素早い取り入れや活用、「チョベリバ」などの新語の創出、テレクラやツーショットダイヤルを介した「援助交際」など、マスメディアに話題を提供し続けた。

※「ブルセラ」「テレクラ」は後述します。

現在でも使われているJKという単語は90年代に誕生し、ルーズソックスが特徴的な「コギャル」が流行りました。
1994年
1996年
  • ミニスカートに厚底ブーツ、ロングヘアに茶髪、細い眉が特徴の安室奈美恵に憧れる「アムラー」
  • 奇抜な衣装とヘアスタイルの篠原ともえに憧れる「シノラー」
などに憧れる女性も増え、その後は
  • 顔が真っ黒な「ガングロギャル」
  • ヤマンバの様なメイクをした「ヤマンバギャル」
などが誕生しました。

ちなみに90年代後半に流行ったプリクラですが、女性は様々な人と撮ったプリクラを貼る「プリ帳」を持ち歩く様になりました。
ギリ平成生まれ女子高生
パラパラブーム

テレクラ全盛期

90年代は女子高生の援助交際が社会問題となりましたが、これに関係してくるのが「テレクラ」です。

テレクラとはテレフォンクラブの略称であり、見ず知らずの男女の通話をつなぎ、出会わせるためのシステムです。

男性はテレクラの店舗に赴き、2時間で3000円程度の利用料を払う事によって店内に設置された固定電話機にて女性からの着信を受ける権利を得ることができました。

女性は街頭で受け取ったポケットティッシュや女性誌の広告欄などに掲載されたフリーダイヤルに自宅や公衆電話から電話をかける事によって男性と繋がるシステムです。

各種の規制によりテレクラ店舗は2000年頃に激減しましたが、その頃に私は成人した為、運良くテレクラを経験する事ができました。
テレクラの様子
上記の動画では普通に会話していますが、実際は着信自体もほとんどなく、店舗内で最も早く受話器を上げないといつまで経っても女性と通話できないという熾烈な競争の世界でした。

二時間テレクラにいても全く着信を取れないということもザラにありました。

テレクラは援助交際の温床だった

テレクラは90年代前半頃までは純粋に出会い目的の人も多かったんだと思いますが、時代が進むごとに売春など犯罪の温床となりました。

私がテレクラを経験した90年代後半以降は、利用登録をする際には身分証の提示が求められましたし、実際に女性は援交目的がほとんどでした。

当時テレクラで繋がった女性に「何が目的なん?」と聞いた事がありますが「援交に決まってるやん。それ以外に何がある?」と言われた事を鮮明に覚えています。

当時は大不況であり困窮している家庭が多かったという事も関係していたのかもしれません。

またテレクラと同じ様なツーショットダイヤルというシステムもありました。
テレクラには店舗型の他に「伝言ダイヤル」や「ツーショットダイヤル」というものもありました。

これは男性が店舗に赴かず、有料のカードを専用の販売機やアダルトショップで購入し、指定の電話番号にかけてカードに書かれている会員番号を入力してログイン、自己アピール伝言を残せるのが「伝言ダイヤル」。

このシステムによってテレクラと同様に女性からの電話をシステムがつなげてくれるのが「ツーショットダイヤル」です。

女性はテレクラと同様に雑誌の広告欄などで番号を知り電話をかけてきていました。

テレクラもツーショットも伝言ダイヤルもそうですが、女性からの着信が無ければ商売は成り立ちません。

当時は店が雇ったサクラなども多数混在しており、労多くして功少なしでした。

これらは90年代後半以降の条例制定やPC・携帯における出会いサイトの誕生により衰退していきました。

ブルセラショップ

ブルセラショップ
90年代は女子高生の援交が社会問題となりましたが同時に流行ったのがブルセラショップです。

ブルセラショップは学生が着用していた使用済みの下着やその他の物品を買い取って販売するお店です。

女子高生から買い取った下着に写真を付けて販売していたほか、女子高生をAVに出演させていたお店もあったとか。

インターネットの普及

インターネットが普及したのは90年代の半ば以降ですが、パソコンそのものは80年代から持っている人はいました。

当時、親戚の兄ちゃんはパソコンでエロゲーをやっていましたね。

しかし当時パソコンを持っている人はまさに「オタク」であり、一般家庭にパソコンが普及するのはまだまだ先です。

私は90年代前半に中学校でパソコンの授業を受けましたが、この頃に学校でパソコンの授業が始まりました。

パソコンの授業と言っても当時はまだ常時接続はおろか、時間制のネット接続もほとんど普及していない時代。

ネット回線などもちろんつなげておらず、文字を打ったりする程度でした。

しかし、これによって私はパソコンというものに強い興味を持つようになりました。

パソコンやネットに詳しくなるキッカケを学校で得たわけです。

そして私が高校生になった95年、パソコンやネットが一般人に普及始めるキッカケとなった「Windows95」が発売されました。

これによってパソコンでのネット接続が普及し始めました。

2000年代に入ると常時接続の回線サービスも登場し始め「インターネット」が身近なものになっていきました。
Windows95発売
Windows95を再現

携帯電話の普及

90年代はガラケーの元祖が誕生し、本格的に普及・進化していった時代です。

ポケベルの普及率が最も高かったのは私が高校生であった1996年だそうですが、もうその頃には携帯電話=ガラケーやPHSが一般人に普及し始めていました。
当初はちょっと田舎に行っただけで携帯がつながらないなんて事はザラにありましたが、携帯各社は急速に通信エリアを拡大させていき我々がどこに居ても繋がれるようになりました。

90年代後半になるとパソコンでのネット普及に続いて、携帯(ガラケー)でもネットやeメールができるようになりました。

携帯でもネットが普及したのは良いことですが、当時は通信量に応じて料金を請求されるシステムしかなく、5万や10万円の通信料を携帯会社から請求される問題も起こるようになりました。

2000年代に入るとパソコンと同様に、携帯でも通信し放題の「パケ放題」というプランが誕生し、携帯での常時接続も本格化していきました。
ポケベル
私はポケベルとほぼ縁のない人生ですが、90年代後半になっても女子大生になった知人はポケベルを所持していました。

その様な事情から私もポケベルにメッセージを送信する必要性があったわけですが、ポケベルがすごく苦手でした。

ポケベルは相手のポケベル番号に電話をかけて、自動音声後に数字による文字入力を受け付けるシステムです。

たとえば「あ」と送りたい場合は11、「い」と送りたい場合は12と入力するのです。

文字と数字を考えながら打たねばならず、途中でどこまで打ったのかわからなくなる事も多々ありました。

上記の画像のように724106(何してる?)と言った当て字はありましたが、文字で「愛してる」と送りたい場合は「1112324493」と入力せねばならず、きちんと入力できているのか確認する方法さえありませんでした。

1が一つ抜けていただけで、まったく意味不明の内容が送られてしまうという不便なシステムなわけです。

受信した側は誰からの着信かわからない上に、意味不明のメッセージを受け取り「どこの誰が何を伝えたくて送ったのかわからない」という事態に陥る事もありました。

危険な若者がいた時代

1990年代はまだ昭和の野蛮な文化も多少引きずっていた時代です。

この時代は「不良や暴走族がカッコいいという」価値観がまだありました。

そのような事が影響していたのか定かではありませんが、この時代は危険な若者が多かった印象です。

その一例を紹介しましょう。

不良はシンナーを吸う

この頃の不良はシンナーを吸う人が多かったです。

学校などでは「シンナーをやめよう」みたいな啓発が盛んに行われていました。

当時の資料によると暴力団関係者等から少年がシンナーを購入していたほか、建設現場から窃盗などしていたようです。

カツアゲが横行

1990年代の前半において私は中学生であったわけですが、その頃の遊び場であったゲーセンやショッピングモールにはガラの悪い高校生がいました。

彼らはナイフを突きつけて私に声をかけ、人気の居ない場所に連れ込み、金銭を脅し取る「カツアゲ」を行いました。

同時代を過ごした他の人も似たような体験をしており「目が合っただけで殴られたり金を取られたりした」そうです。

当時はそれが当たり前の時代であったため、人の集まる場所に大金を持って遊びに行くときは必ず靴底や、靴下の中にお金を隠して出歩くのが常識でした。

エアマックス狩り

90年代は庶民にネットが普及している時代ではなく、若者は音楽やファッションに力を入れていた時代でした。

そんな中95年にエアマックスというスニーカーの人気に火が付いて10万円以上の価値となりました。

自己顕示欲を満たしたかった若者は「エアマックス狩り」なる強奪事件を起こすようになりました。

バタフライナイフの流行

90年代は少年がナイフを持ち歩いていた時代です。

それに輪をかけたのがテレビです。

90年代中頃には「青年がナイフで敵対する勢力を刺して結末を迎える」というドラマが放送されていましたし、90年代後半にはドラマにおいて主人公を演じる木村拓哉がバタフライナイフを器用に操ったことで、バタフライナイフを持ち歩く青少年が増えたと言われています。
バタフライナイフとは?
バタフライナイフの流行によって青少年による殺人などの凶暴な犯罪が社会問題となりました。

1999年に文部大臣は
  • 学生に対してはナイフを学校に持ち込まない事
  • 保護者に対しても子供がナイフを持ち歩かないように指導すること
を求める声明を出すほど社会問題化しました。

オヤジ狩り

おやじ狩り
1990年代はバブル崩壊によって深刻な不況に陥りました。

その様な事も関係していたのかはわかりませんが、1990年代の半ば以降は「オヤジ狩り」が流行しました。

親父狩りとは金品を持っていそうな会社員のオヤジを暴行して金品を奪う行為を指します。

この時代は安易に犯罪に手を染める少年があとを絶ちませんでした。

援助交際からのおやじ狩り

90年代の中ば以降は女子中高生の援助交際が社会問題になりましたが、女子中学生が援助交際を装って金を持っているオヤジを呼び出し暴行、金銭を奪い取るなどの事件も頻繁に起こりました。
2003年でもオヤジ狩り

オヤジ狩りしてクルマを強奪—14歳の女子中学生ら3人を傷害と恐喝で逮捕 | レスポンス(Response.jp)

茨城県警は14日、携帯電話の出会い系Webサイトで知りあった男性を脅迫・暴行して、この男性の乗っているクルマを脅し取ったとして14歳の女子中学生と、仲間の16歳と17歳の少年、合わせて3人を恐喝および傷害の容疑で逮捕したことを明らかにした。

2000年代の若者もひどかった

私の世代ではありますが、90年代に限らず、2000年代に入ってもガラの悪い若者が多かった気がします。
00年代の若者
物騒な中高生の多かった90年代ですが、彼らが2000年代に入って20代になり調子に乗っていたのは至極当然の事だったのかもしれません。

誰でも貯金が二倍に増えた

90年以降のバブル崩壊とは裏腹に1990年代初頭まではお金を郵便局に預けるだけでお金儲けができた時代でした。

100万円預けると1年で6万円ほど増え、また10年預けると二倍になりました。

100万円預けたら200万円になったのです。

当時の私は子供であり、親戚からもらったお年玉は全て強制的に貯金されていたんですが、その10万円ほどの貯金に対して利息が数千円ついていましたね。
郵便局の高金利時代
今では想像もできない世界です。

バブル崩壊による借金苦と自己破産者の急増

バブル崩壊による自己破産者
バブル崩壊後「平成の大不況の進行」と「多重債務者の激増」を背景とする個人自己破産は平成11年(1999年)には10万件を突破、潜在的な破産予備軍の数は300万人にも及びました。

その4年後の平成15年(2003年)には個人自己破産が倍以上の24万件を突破するという恐ろしい暗黒時代でした。

当時は仕事がなく、就職氷河期の真っ只中。

生活苦で借金する人が多く、仕事があったとしても安月給、借金を返す余裕がないという時代でした。

またバブル崩壊をキッカケとして資金繰りが悪化して生活費を捻出できなくなった人もいました。

そんな時代に暗躍していたのがヤミ金です。

正規の消費者金融では借りれなくなった人々は法外な高金利でお金を貸し出すヤミ金に手を出し、悪質な取り立てに追われる人も数多く発生しました。

100均が急拡大する

90年代は百均が急拡大した時期です。

90年代序盤は全く見かけなかった100円均一ですが、90年代後半になるとダイソーなどが地域内に何店舗も新規出店しました。

コンビニが急拡大を始める

90年代はコンビニが急拡大した時代でもあります。

90年当時、私の地元でもローソンの地域統括本部が一つあるだけでしたが、90年代にあっという間にコンビニが増えていきました。

ちなみに90年に比べて現在のコンビニの数は3倍以上に増えたそうです。

回転寿司が爆発的に増えた

回転寿司が爆発的に増えたのは90年代以降です。
回転寿司が市場を席巻するまでは持ち帰りの寿司専門店である「小僧寿し」がメジャーでした。

90年前後、小学生であった私も小僧寿しを食べた記憶があります。

電車の改札は切符切りが居た

私が小学校の頃、1990年代初頭までは電車の改札に切符切りの駅員がいました。

しかしいつの間にか自動改札に変わっていき、気がついたら切符切りは居なくなっていました。

電車のトイレは線路に垂れ流し

90年代でわりと印象深いのが電車のトイレです。

90年代初頭の電車にもトイレがついてる車両はありました。

しかし、当時の電車におけるトイレとは排泄物をそのまま線路に落とすという信じられないシステムでした。

トイレに行って便器を覗くと線路の砂利が見えていたのです。

90年代のガソリンスタンドは有人だった

1990年~2000年代のガソリンスタンドは今のように自分でガソリンを入れたりするセルフ式は、ほぼありませんでした。

どの店にもたくさんの店員がいて、以下のようなサービスをしてくれました。
ガソリンスタンドに入るとまずは停車位置までの誘導から始まります。

停車すると給油量を聞かれるので「レギュラー○○リッター」とか「レギュラー○千円分」とか「レギュラー満タン、現金で」といった具合に注文します。

そうすると給油作業が始まります。

本来のガソリンスタンドはノズルを給油口にかけておくだけで自動で給油が行われるため、スタッフが空いた手で窓を拭いてくれたり、灰皿の掃除が必要か?を尋ねたりもしてくれました。

そして各ガソリンスタンドは独自のスタンプカードを発行しており、スタンプを貯めることによってティッシュなどの景品と交換できていました。

そういえばガソリンスタンドの店員は金髪ロン毛のヤンキー姉ちゃんがすごく多かった印象です。

学校にまともに行かず、まともな就職ができなかった少女の受け皿になっていた側面があったのかもしれません。

また90年代始めはガソリンスタンドが全国に6万店あったそうですが、現在では半分の3万店舗にまで減ったそうです。
ガソリンスタンドが激減した理由

ピンクチラシ


90年代はピンクチラシが沢山ばらまかれていた時代です。

ピンクチラシとは主に性風俗店を宣伝するためのビラであり、当時は公衆電話内のガラスに貼られていたり、住宅のポストに投函されたりしていました。

条例の規制などが入り、2000年代にはめっきり見なくなりました。

ペンフレンド、文通文化

90年代半ばに普及し始めたインターネットですが、当時はまだまだインターネット黎明期であり、バイク雑誌や音楽雑誌には文通相手募集の欄がありました。

ヤフオクもまだなく「じゃマール」や「わぁでぃ」と言った個人売買の仲介雑誌が発売されていましたが、その中にも文通相手募集のコーナーがありました。

文通から出会って恋人になり結婚に至るということも普通にあった時代です。

当時は個人情報などクソくらえの時代であり普通に名前や住所を雑誌に公開していました。

90年代後半のガラケーによるeメールサービスの開始や出会いサイトの普及、2003年に施行された個人情報保護法によって文通コーナーは絶滅へと向かいました。

記録メディアの変化

90年代は記録メディアが変化していった時代でもあります。

音楽で言えば80年代までは旧来のレコードに加えてカセットテープが主流でした。

80年代後半にはCDが普及し、90年代後半にはMDと記録媒体が次々と変化していきました。

パソコンの普及によって90年代後半頃には自分で好きな曲をCDに焼ける時代も到来しました。

映像に関して言えば、80年代からあったビデオテープから90年代後半にはDVDへと次第に入れ替わっていきました。

レンタルビデオ店が沢山あった

90年代はレンタルビデオの全盛期でした。

私の近所にも複数のレンタルビデオ店が開業し、競合との潰し合いによって破格の1本50円~100円で一週間レンタルできました。

また90年代後半になるとテープからDVDレンタルへと変わっていきました。

本屋も沢山あった

1990年には27800店舗あった書店ですが、2014年には8000店舗となっており1/3に。

今現在では更に減っている事も予想されます。

昔は街中あちこちに小さな個人経営の書店がありました。

しかし現在は大手による大型化・集約化が進んでいるようです。

本屋と言われても気軽にアクセスできるお店がなかなか思いつかないほど本屋が街から消えました。

ティッシュ配り

90年代は各企業によるティッシュ配りが盛んに行われていた時代です。

先程紹介したテレクラのティッシュ配りももちろんいました。

ティッシュを配るバイトの求人もたくさんあったように思います。

「ストーカー」「DV」が一般認知される

90年代は昭和の文化が色濃く残っていた時代であり、家庭内暴力もまだ「誰にも言えないもの」という認識が残っていた時代です。

90年代半ば頃まではDVという言葉はおろか、ストーカーという言葉もまだ認知されていない時代でした。

私も「ストーカー」という言葉を知ったのは90年代半ば以降ですが、この頃にテレビでストーカーに関する内容が流れていた事から知りました。

1997年の1月には
  • ストーカー 逃げきれぬ愛(読売)
  • ストーカー・誘う女(TBS)
というストーカーに関するドラマが二本も放送されました。

この時期「ストーカー」という言葉がかなり注目を浴びてい事がおわかりいただけると思います。
0

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA