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これだけは知っておくべき神戸の洋菓子文化

神戸は洋菓子の聖地

なおえもん

はろーなおえもんやで

あなたは洋菓子(スイーツ)発祥の地が神戸である事をご存知だろうか?

洋菓子の発祥・聖地は神戸

洋菓子の発祥・聖地は神戸

今でこそ絶対的な地位を築いた洋菓子(スイーツ)であるが、この洋菓子文化が神戸で花開き、そして日本人に根付いていった背景を紹介したい。

神戸の洋菓子事情

神戸の洋菓子店舗数

神戸の洋菓子店舗数は日本一であり、神戸~大阪に至る阪神間では無数の洋菓子店が存在する。
1位が神戸で2位が大阪なのはそのためであろう。
神戸は洋菓子の聖地

神戸の洋菓子店名わかりますか?

神戸には多数の洋菓子店が存在しているがその中から代表的な店名を知っているか調査した結果
兵庫県民、神戸市民は神戸洋菓子ブランド名を言えるか

兵庫県民、神戸市民は神戸洋菓子ブランド名を言えるか

兵庫県民、神戸市民は神戸洋菓子ブランド名を言えるか

兵庫県民、神戸市民は神戸洋菓子ブランド名を言えるか

ユーハイムのバウムクーヘン、神戸風月堂のゴーフル、モロゾフのプリン

日本で初めてバウムクーヘンを販売したユーハイム

ユーハイムでは工場直送のプレミアムなバウムクーヘンのみ本場ドイツスタイルの削ぎ切りで販売
ユーハイムが工場直送のバウムクーヘンを削ぎ切りで販売

ユーハイムが工場直送のバウムクーヘンを削ぎ切りで販売

ユーハイムが工場直送のバウムクーヘンを削ぎ切りで販売

ユーハイムが工場直送のバウムクーヘンを削ぎ切りで販売

ユーハイムが工場直送のバウムクーヘンを削ぎ切りで販売

日々食べられる洋菓子、モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア

モロゾフのアルカディア
MEMO
神戸の家庭ではアルカディアのクッキー缶や神戸風月堂のゴーフル缶を道具入れにしたり、モロゾフのプリン容器をコップとして再利用。

神戸っ子にとって「洋菓子あるある」である。

なおえもん

うちも贈答品として貰い、食べた後は道具入れになっていた…

神戸に洋菓子文化が根付いた過程

明治の幕開けと神戸港の開港による文明開化

今から150年前の1868年、日本が明治という新しい世を迎えた年に神戸港が開港された。

それ以来、神戸は西洋に対する窓口として、西洋の生活文化を先取りする都市へと発展していく事に。

神戸は洋菓子の聖地

神戸は洋菓子の聖地

神戸は洋菓子の聖地

日本人による神戸初の洋菓子店は1882年=明治15年、元町通りに開業した二宮盛神堂(にのみやせいしんどう)と言われます。

神戸は洋菓子の聖地

しかし、日本人にとってまだまだ洋菓子の黎明期であり、庶民の手には届かないものでした。

明治30年代(1897年~)には

神戸風月堂や
明治時代の神戸風月堂

ドンクの前身、藤井パンがオープン。
ドンクの前身藤井パン

ワッフルやシュークリーム、アイスクリームなどを扱いました。

神戸風月堂はやがて和と洋を絶妙に運をさせたゴーフルで神戸洋菓子の実力を全国に轟かせることになります。

神戸洋菓子の大転換期が訪れる

洋菓子が庶民に広がり始めた大正時代、神戸洋菓子の大転換期が訪れます。

大正時代にロシア革命から逃れ日本へ亡命した菓子職人のゴンチャロフとモロゾフ

ロシア革命を逃れて大勢の白系ロシア人たちが日本に亡命しました。

大正時代にロシア革命から逃れ日本へ亡命した菓子職人のゴンチャロフとモロゾフ

その中には菓子職人もいました。ゴンチャロフやモロゾフは神戸で開業。
神戸洋菓子に新しい風を吹き込みました

神戸で開業したユーハイムとフロインドリーブ

第一次世界対戦で日本にとどまったドイツ人もいました。
フロインドリーブはドイツパンを販売。

神戸で開業したユーハイムとフロインドリーブ

ユーハイムは今やすっかり神戸名物となったバウムクーヘンを売り出しました。

ユーハイムやフロインドリーブ、ゴンチャロフやモロゾフが日本の洋菓子職人に影響を与えた

日本の洋菓子職人たちは彼らの持つ知識や技術・経験を貪欲に吸収。

ユーハイムやフロインドリーブ、ゴンチャロフやモロゾフが日本の洋菓子職人に影響を与えた

神戸洋菓子のレベルを押し上げていきました。

喫茶店ブームが洋菓子文化を更に発展させる

昭和の喫茶店ブーム
昭和に入ると喫茶店ブームが起こります。

コーヒーと共にパンや洋菓子が喫茶店を拠点に普及していきました。

この頃、阪神間には銀行員・商社マンなど大勢のサラリーマン層が生み出されていきました。
衣食住すべてが新しい生活スタイルに変わっていき、洋菓子も自然に家庭に浸透していく事となりました。

バレンタインの起源

昭和11年、神戸モロゾフ製菓が「愛しい人にバレンタインにチョコレートを」と広告を打つ。

神戸モロゾフ製菓が「愛しい人にバレンタインにチョコレートを」と広告を打つ

今や冬の一大イベントとなったバレンタインデーの始まりとされています。

神戸大空襲による焼け野原で洋菓子業界は崩壊の危機

終戦直前の大空襲。
神戸は焼け野原になりました。

洋菓子業界は苦境の時期を耐えねばなりませんでした

そんな中、1946年には兵庫県洋菓子協同組合が発足。

エストローヤル、元町ケーキ、コトブキ、カステラの文明堂など新店が次々と開業。

神戸洋菓子界はその底力を見せました。

高度経済成長時代

高度経済成長の時代を迎え、阪神間には現在の神戸洋菓子界を賑わせる

エーデルワイス、ベルン、ロアール、エトワールなど多くの店がオープンします。

百貨店の出店要請を受け、テナントとして首都圏や地方主要都市に拡大政策をとりました。

神戸の洋菓子は全国ブランドに格上げされ経営基盤も確立し現在に至ります。

神戸洋菓子界は長く全国トップレベルの技術を誇ります。

洋菓子といえば昔も今もこれからも神戸なのです。

ユーハイムやフロインドリーブ、ゴンチャロフやモロゾフが日本の洋菓子職人に影響を与えた
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