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阪神大震災で被災した長田区や灘区の昔と今。当時の写真と復興した現在で比較してみた(未公開写真)

なおえもん

まいど、なおえもんやで

1995年1月17日、阪神大震災において長田や神戸の街は突如として激震と猛火に襲われました。

激震が建物を一瞬で押し潰し、逃げ道を塞ぎ、断たれた水が消火活動を拒みました。

救えるはずの命が、無慈悲な瓦礫と火の海に飲み込まれていきました。


あれから31年。

当時の私は15歳の中学生で、高校受験の寸前に阪神大震災を経験しました。

今回、阪神大震災の未公開写真が、押し入れから出てきた為、それを公開したいと思います。

31年を経て美しく復興した今の神戸の街並みを見ていると、過去に何があったのかなんて想像にも及びません。

写真に刻まれた凄惨な記憶を辿り、あの時、この街で何が起きていたのかをそれぞれの胸に刻み込んでおきましょう。

焦土と化した須磨区常盤町(JR鷹取駅北側)

現在、JR鷹取駅やライフ須磨鷹取店などが立ち並ぶ須磨区常盤町一帯は、震災直後、見渡す限りの瓦礫の山となっていました。

阪神大震災で被災し倒壊や火災で廃墟と化した神戸市須磨区常盤町の住宅

写真左手には、猛火に焼かれ骨組みと化した建物と、熱で歪んだ車が残されています。

かつてそこにあったはずの家々や生活の営みは跡形もなく消え去りました。

右奥には新長田のビル(東急プラザ新長田)が残っている様子が伺えます。

阪神大震災で被災し倒壊や火災で廃墟と化した神戸市須磨区常盤町の住宅

阪神大震災で被災し倒壊や火災で廃墟と化した神戸市須磨区常盤町の住宅

2025年:日常を取り戻した街角

現在のこの場所は、板宿線沿いに大型スーパーライフやサイクルショップあさひが並び、多くの人々が行き交う平穏な日常を取り戻しています。

かつての焦げた匂いや、ガレキで埋め尽くされた路地の面影を探すのは容易ではありません。

阪神大震災で被災し倒壊や火災で廃墟と化した神戸市須磨区常盤町の復興した住宅地の現在の様子

被災して焼け落ちた神戸市須磨区千歳町

阪神大震災で廃墟と化した神戸市須磨区千歳町

この地域は、新長田駅から板宿方面へと続く密集市街地の一部であり、震災直後に発生した大規模火災が須磨区と長田区の境界付近で激しく燃え広がったエリアです。

写真に写っているビル(新長田駅北側の千歳町付近の建物)の窓から立ち上がる黒い煤跡は、内部から火が噴き出した火災の凄まじさを物語っています。

手前に広がる瓦礫の山は、地震の強い揺れで倒壊した木造家屋が、その後の火災で焼き尽くされた結果です。

新長田駅周辺からこの千歳町にかけては、火災によって街の風景が完全に失われるほどの壊滅的な被害を受けました。

傾いた電柱と絡まった電線、そしてマスクをして歩く方の姿は、生活基盤が完全に破壊された中での過酷な状況を示しています。

復興した神戸市須磨区千歳町

阪神大震災で被災し、復興した神戸市須磨区千歳町の様子

かつては木造住宅が密集し、延焼を防げなかったこのエリアは、震災後に「新長田駅北地区 震災復興土地区画整理事業」などの対象となりました。

現在の建物は鉄筋コンクリート造や不燃化された素材が主流となり、震災時の写真のような「窓から火を噴く」ような事態を防ぐ防災設計がなされています。

震災当時は瓦礫で埋め尽くされていた道も、現在はきれいに舗装され、消防車などの緊急車両がスムーズに通行できる幅員が確保されています。
なおえもん

これで良かったのか?

新長田駅前の建物が倒壊している様子

新長田駅前(北側)の松野通2丁目。

かつて「神戸デパート」の東筋にあたる通り(若松線)を撮影した一枚です。

神戸市長田区松野通2丁目(若松線)で建物が倒壊している様子

目を引くのは、電柱に掲げられた「質 岡新 神戸デパート東筋 50M南へ下る」の案内看板。

鋭角に折れ曲がった建物や信号機が覆いかぶさるように倒壊しています。

火災の印象が強い長田区ですが、この場所が物語るのは、火の手が回る前に街を物理的に破壊した「揺れ」の凄まじさです。

洋風の塔を持つ特徴的な建物が、まるでおもちゃのようにひしゃげた光景は、一瞬で街の機能が麻痺したことを無言で伝えています。

神戸市長田区松野通2丁目(若松線)で建物が倒壊している様子

新長田駅前が復興した様子

現在、この一帯は区画整理によって道幅が広がり、当時の面影は完全に払拭されました。

「神戸デパート」も震災後に解体されました。

写真に写る倒壊した建物や電柱がどの地点であったか、今の整然とした街並みからは想像もつきません。

しかし、この看板の先に確かにあったはずの「日常」を、私たちは記録として留めておく必要があります。

神戸市長田区松野通2丁目(若松線)で建物が倒壊し復興した様子

JR灘駅、阪神岩谷駅周辺におけるマンションの崩壊

JR灘駅の南側、神戸市灘区岩屋北町5丁目。

JR灘駅近くの灘区岩屋北町で崩壊したマンション

一見、倒壊を免れたように見えるマンションですが、近づけばその被害の深刻さは一目瞭然です。

堅牢なはずのマンションも阪神大震災の強烈な揺れによって壁面が完全に破壊されています。

外壁には稲妻のような巨大な亀裂が走り、1階のエントランス部分は上層階の重みに耐えかね、今にも押し潰されそうなほど歪んでいます。

立ち入り禁止のバリケードを見ると、そこにあったはずの「安全な住まい」が、一瞬にして「凶器」へと変わってしまった恐怖を、この割れた窓ガラスとコンクリートの破片が伝えています。

灘区もまた、震災の「震災の帯」と呼ばれる激震地に位置し、多くのRC造(鉄筋コンクリート)マンションが中層階で潰れるなどの甚大な被害を受けた地域です。

阪神大震災の破壊から修繕された灘区のマンション

阪神大震災の破壊から修繕された灘区のマンション

現在、このマンションは修復され、新しい住まいとして静かな環境を取り戻しています。
阪神岩屋駅やJR灘駅に近い利便性の高いこの街で、31年前にこのような巨大な亀裂が建物に刻まれていたことを知る人は、年々少なくなっています。

神戸市須磨区板宿近辺で崩壊したマンション

神戸市須磨区板宿近辺で崩壊したマンション

この写真には、震災の「揺れ」そのものが持つ圧倒的な破壊力が刻まれています。
茶色のタイル貼りの建物は、激しい縦揺れと横揺れによって1階部分が完全に押し潰されています。
窓ガラスはひしゃげ、内部の家具が今にも崩れ落ちそうな状態で露出しています。
板宿町や戸崎通には私の両親の実家もあり、両親の実家とも倒壊に見舞われました。
須磨や長田ではこうした建物の倒壊が相次ぎました。

神戸市須磨区板宿周辺で崩壊したマンション

神戸市須磨区板宿周辺で崩壊したマンション

その他の被災地の写真

その他、被災した建物など。

阪神大震災で倒壊した住宅の瓦礫

阪神大震災で倒壊した日華食品

阪神大震災で被災した高架下

阪神大震災で倒壊した倉庫のような事業所

阪神大震災で倒壊した倉庫のような事業所

阪神大震災で倒壊した住宅の瓦礫とひっくり返って焼け焦げた車

阪神大震災で分解され、倒壊寸前のテナントビル

阪神大震災で焼け落ちた会社の鉄骨と焼け落ちた車

阪神大震災でバラバラに崩れ落ちた住宅の瓦礫と真っ黒に焼け焦げた事業所

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