
なおえもん
まいど、なおえもんやで
人間は誰しも、人生の最初の数年間の記憶がすっぽりと抜け落ちています。なぜこんな現象が起きるのか?
一般的には幼い頃の記憶がないのは
- 脳がまだ未完成で「記憶を保存する仕組み」が育っていないから
- 言葉もまだ未発達なので、体験を「記憶として整理する」ことができない
もちろんそれも理由の一つでしょう。しかし、もう少し深く考えてみると、そこには「人間が自立して生きていくための、衝撃的な理由」が隠されているのかもしれない。
もし、私たちが赤ちゃんの頃の記憶をすべて鮮明に覚えていたらどうなっていたでしょう? そこには、想像以上に過酷な「副作用」が待っているのです。
今回は「もし幼児の時の記憶がなくならなかったら?」という仮説を通じて、私たちが忘れるようにできている「本当の理由」について考察します。
もくじ
親への感謝が強すぎて、永遠に「親離れ」できなくなる
赤ちゃんは、何から何まで親(養育者)にやってもらわなければ生きられません。お腹が空いた、寒い、オムツが気持ち悪い。自分では一歩も動けず、ただ泣くことしかできない無力な存在です。
もし、この時期の記憶がすべて残っていたらどうなるでしょう?
- 「あの時、泣き叫んだらすぐに飛んできて抱っこしてくれた」
- 「自分では何もできないのに、毎日ご飯を食べさせてくれた」
- 「夜中に何度も起きて、背中をさすってくれた」
これほど具体的で膨大な「恩義」の記憶を持ってしまったら、親という存在が絶対的になりすぎてしまいます。「自分は親なしでは1秒も生きられなかった」という強烈な事実を突きつけられ続けるのです。
その結果、親への依存心や感謝が重くなりすぎ「親から離れて自分の足で歩こう」という自立心が芽生えにくくなる可能性があります。
親離れどころか、心理的に永遠に親と一体化してしまう。人間が精神的に自立するためには、この時期の「過剰な恩義」を一旦リセットする必要があるのかもしれません。
「世界は恐怖だらけ」というトラウマを背負って生きることになる
大人の視点で見れば「守られた安全な赤ちゃん時代」かもしれませんが、赤ちゃん本人の視点ではどうでしょうか?- 突然の大きな音への驚き
- わけもわからず転んだ時の痛み
- 予防接種の注射の鋭い痛み
- 暗闇への得体の知れない恐怖
- 言葉が通じず、不快感を伝えられないもどかしさ
もし、この「原始的な恐怖体験」がすべて鮮明な記憶として残っていたら?
私たちは大人になっても、理由のわからない膨大な不安や恐怖を抱えて生きることになります。「世界は怖い場所だ」「いつ何が起こるかわからない」という警戒心が強くなりすぎて、新しいことに挑戦したり、のびのびと生活したりすることが難しくなるでしょう。
「嫌なことは忘れる」という機能は、心が壊れないように守るためのバリアです。赤ちゃん時代の強烈なストレスを忘れることで、私たちは「世界はそれほど怖くない」と信じて生きていけるのです。
「自分は無力だ」という自己イメージが呪いになる
ここが最も重要なポイントかもしれません。それは「自己肯定感(自分はできるという自信)」への影響です。
赤ちゃんは、最初は首もすわりません。寝返りも打てず、立ち上がることもできず、何度も転んで頭を打ちます。失敗の連続です。
もし、「自分はかつて、何一つ自分ではできない無力な存在だった」という記憶が生々しく残っていたら、どうなるでしょうか。
- 「自分は弱い」
- 「誰かに助けてもらわないとダメだ」
人間が成長し、社会に出ていくためには、「自分はできる!」「なんとかなる!」という根拠のない自信(自己効力感)が必要です。
そのためには、「かつて自分は何もできない無力な存在だった」という事実を、きれいさっぱり忘れる必要があります。
記憶をリセットすることで、あたかも「最初からある程度できる自分」として再スタートを切る。
幼児期の出来事を忘れる人間の仕様は「自分は無力だ」という呪いを消し去り「自分はできる存在だ」という感覚で自立を始めるための、進化的な仕掛けなのかもしれません。
まとめ:忘れることは「強くなること」
こうして考えてみると、幼い頃の記憶がないことは、脳の欠陥などではなく、むしろ「優れた機能」であるように思えてきます。- 親への過度な依存を断ち切り、自立を促すため
- 原始的な恐怖やトラウマから心を守るため
- 「自分は無力だ」というイメージを消し、自信を持って生きるため
その膨大な処理に追われる中で「出来事の記憶」を捨てるという選択をしたのは、未来の自分が強く生きていくための決断だったのかもしれません。
「昔のことを覚えていない」
それは、あなたが今、一人の人間として自立し、前を向いて歩いている何よりの証拠なのです。
