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「お前なんか生まれてこなければ良かった」DV・暴力を反省せぬまま逝った毒親父の最期

なおえもん

まいど、なおえもんやで

「お前なんか生まれてこなければ良かった。死ね。」

これは毒親である父が私に言い放った言葉だ。

しかもこれは私の幼少期の話ではない。

父が死ぬわずか3か月前の話である。

その父が亡くなって、本日で半年が経過した。

この半年は非常に感情が揺さぶられた期間だった。

父によるDVの突然の終わり

2025年10月27日、父は自宅の二階の階段から落ち、首の神経を切断して全身麻痺になった。

救急搬送後の検査で末期の胃がんの貧血である事が判明し、そこからわずか1か月という速さで死んだ。

私の幼少期から暴力的な人間であった父だったが、完全なるクズの自己愛性人格障害である以上、最後まで変わらなかった。

私はこれまで当然、壮絶な嫌がらせや暴力、いじめを受けてきた。

もちろん父には早く死んでほしいとは思っていたが、そのような悪人に限って長生きするもので、85歳という長寿を全うしていた。

父の面会に行かなかった理由

入院当初、入院が大嫌いな父は動けない事もあってか「毎日来てな」と言ってきた。

当然、私はほとんど面会に行かなかった。

むしろ入院が長引くなら、これまでの自己中心的な傲慢な虐待・DVを理由に、市に保護責任の拒否を主張し、縁を切る事さえ考えていた。

長年持病で苦しんでいる私に対して理解を1ミリも示さず、サボっているゴミダニ扱いをされ、ひどい仕打ちに耐えに耐え、それでも耐えきれず、とうとう家出を本気でしようとしていた矢先に、やっと運命の瞬間は訪れたのである。

散々子供にお世話になっても恩を仇で返し、感謝さえしない父

父は自分の事しか考えられないスーパー自己中な病なので、当然、自分が加害している意識さえ持っていなかった。

そんな父に入院の半年前、私はこう言った。

「入院するような事態になった時に、看病するのは誰だと思ってるんだ?前回も苦労させられたし、保証人にもなってやった。」

父は完全に私の苦労を無視した。

それどころか私への弾圧を続け、生活費を渡さず、陰湿ないじめと嫌がらせを毎日のように続けていた。

何度も何度も私を裏切り、傷付け、思い通りにならなければワガママを爆発させて暴力を振るう。そんな人間の面倒を見る人はいない。

2022年にも2024年にも、父は私を散々苦しめた。

その詳細はまた別の記事に書くが、父の晩年でさえも私は本当に苦労ばかりさせられて、消耗して、散々な目に遭わされ続けてきた。

「父の最期だから頻繁に会いに行こう」なんて思えるはずもなかった。

DV・暴力行為を反省できずに死んだ父

そもそも父は、私の幼少期からの家庭内暴力をすべて忘れており、罪の意識さえ持っていなかった。

認知の歪んだ自己中心的な人格障害の父と話をしても何ら有益な話にはならない。

人の心を持っていないのだから話をしても無駄だし、これまでの仕打ちを考えれば当然の報いであると思っている。

父は最後まで看護師に「息子は来てますか?」と聞いていたようだ。

なぜ来ないのか、少しは考えてほしかった。

同時に、死ぬ1〜2週間前という状態でありながら、看護師に対して怒鳴り散らす事もあったようだ。やはり父は最後まで自己愛性人格障害であった。

父は発達障害も入っており、短気で単細胞な人間だった。

だからその境地に至る事などまず無理だっただろうが。

本当は私の小学校時代から、父が母に暴力を振るっていた事も問い詰めたかった。

だが覚えていない、罪の意識もない相手では話にならない。

私は黙って父の過去の暴力を胸の内に収めておく以外に方法がなかったのである。

父に言えなかった事

父に言いたかった事は、山ほどある。

だがそれは結局、最後まで届かなかった。

届けるべき相手が、そもそも受け取れる人間ではなかったのだから。

こうして書き残す事が、私にとっての唯一の供養であり、けじめなのかもしれない。


次回は、遺品整理の中で出てきた幼少期の写真やカセットテープ、8ミリフィルムについて書く予定です。

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