
なおえもん
まいど、なおえもんやで
だが、その空白の20年間も、私と父の縁が完全に切れていたわけではない。
「なぜ完全に縁を切って連絡を絶たなかったのか?」と疑問に思うかもしれない。
だが、あの男を完全に拒絶することは、さらなる破滅の引き金を引くことを意味していた。
もし着信拒否をして音信不通にすれば、逆上した父が私の自宅へ乗り込んできて暴れ回ることは目に見えていた。
何より恐ろしかったのは、その狂気の矛先が、離婚して暮らす最愛の母へと向かうことだった。
自宅の襲撃と、母への危害。
その最悪の暴発を防ぐため、私は自分が連絡窓口を引き受け、母を守る「防波堤」として矢面に立ち続ける道を選んだ。
怪物の怒りをコントロールするため、やむを得ず最低限の要求を聞いて「ガス抜き」をするという、危険な綱渡りを続けざるを得なかったのだ。
だが、その私の我慢につけ込むように、父は事あるごとに私の時間や労力を奪い、便利屋のようにこき使い、そして毎度のごとく私の命さえも脅かしてきた。
今回は、再同居という地獄が始まる以前に起きた、父との異常エピソードを記録しておこうと思う。
これを読めば、なぜ私が晩年の父との同居が「命がけのサバイバル地獄」だったのか、さらに理由が深まるはずだ。
トラックで私を轢き殺そうとしてきた父による殺人未遂事件
毒親である父の異常性を語る上で、最もわかりやすいのが、とある運搬作業でレンタルトラックを借りていた際のことだ。私たちは作業を終えてレンタルトラックを返しに行く途中だった。
自分の車で先行していた私はどうしてもトイレに行きたくなり、コンビニへ寄るために少しルートを外れた。
ただそれだけのことが、父の逆鱗に触れた。
クラクションを何度も鳴らし続けながら、父がトラックで私を猛追してくる。
私がコンビニの駐車場に着いた途端、後ろからトラックで乗り付けてきた父が窓から怒鳴り散らしてきた。
「何勝手な事しとんじゃあ!!!」
父は猛烈に激昂していた。私が生理現象で困っていようが知ったことではない。自分の描いたルートを一分一秒でも外れることが、父にとっては許しがたい反逆なのだ。
そして私が車から降り、コンビニに入ろうと歩き始めた瞬間、背後から凄まじいエンジン音が響いた。
振り返ると、父が殺意を剥き出しにした顔で、歩いている私に向けてトラックを急加速させて突進してきたのだ。
コンビニの駐車場で、実の息子をトラックで轢き殺そうとする狂気。
間一髪で飛び退いて避けたが、父はトラックを降りてなお店内にまで私を追いかけてきて、大声で怒鳴り散らしていた。
目的のためなら息子の命などどうでもいいという、あの「完全に逝ってしまった目」は、今思い出しても背筋が凍る。

なおえもん
店員も唖然として固まっていたほどだ
「話を聞いてやった」車内で、走行中に運転席を蹴り上げられた日
トラック事件とはまた別の日、車内での密室暴力も起きた。当時の父は「話がある」とくだらない用件で私を呼びつけるのが日常茶飯事だった。その日も呼び出された私は、後部座席に父を乗せて車を走らせながら、話を聞いてやっていた。
だが、父が口にし始めたのは、現実離れしたあまりにも支離滅裂な話だった。
その思い込みがあまりにも異常だったため、私が「そんなのあり得ないから、普通に考えてみ?」と冷静に矛盾を指摘した、その瞬間だった。
ドンッ!!!!!!!!!
後方から追突されたかと思うような凄まじい衝撃が、突如として私の背中に走った。
父はあろうことか、いきなり後部座席から、運転席に座る私の背中を全力で蹴り飛ばしてきたのだ。
「ほんまや言うてるやろがぁ!!!」
狭い車内に、野獣のような怒号が響き渡る。
走っている車の運転席を不意打ちで蹴り上げればどうなるか。一瞬でもハンドル操作を誤れば大事故になり、二人とも即死する可能性だってある。
そんな当たり前のことさえ考えられないほど、父は怒りを一切コントロールできない暴力モンスターだった。
運転中だから車を乗り捨てることもできない。我を忘れてキレ狂う父を落ち着かせるため、私は必死で話を合わせ、その場を凌ぐしかなかった。
呼び出されて車に乗せ、話を聞いてやっていた息子に対し、走る車内で不意打ちの暴行を加える。親の情など1ミリもない、剥き出しの殺意だった。私は密室の中で、本気で「殺される」と戦慄した。

なおえもん
車内という密室での恐怖は筆舌に尽くしがたい
「子供のリソースは自分のもの」無料の便利屋として搾取された日々
こうした命の危険にさらされる一方で、日常的な搾取もひどいものだった。例えば父が私の車を運転中に追突事故を起こした際のことだ。当然自分で責任を取るかと思いきや、父は平然と私名義の任意保険を使わせ、私の保険料を跳ね上がらせた。そのことに対する申し訳なさや謝罪など微塵もなかった。
さらに事故の影響で車の電気系統がショートした際、私が原因を特定してヒューズを交換し「ショートしているからまたエンジンが止まる。絶対に遠出はするな」と再三忠告していたにもかかわらず、父はそれを無視してドライブに出かけた。
案の定、出先で車が動かなくなり、立ち往生して私を救助に呼び出す始末だ。
バイクを溝にハメては呼び出し、車のトラブルを起こしては私を呼び出す。
人の都合など一切考えず、まるで「無料の便利屋」のように私をこき使い、自分の無謀さが招いた尻拭いをすべて私に押し付けてくる。
自分のしでかした迷惑は棚に上げ、息子の労力や財産はすべて自分のものだと思い込む。
自己愛性人格障害者特有の、底なしの特権意識と搾取だった。

なおえもん
私の時間も労力も、すべて食い物にされていた
家族からも社会からも拒絶された、暴力モンスターの孤立
父の異常な身勝手さは、家族という枠を越え、周囲のすべての人間を怒らせていた。まず、父の実の妹である私の叔母だ。普段は保険の外交員をしていて人当たりが良く、滅多に人を悪く言わない温和な彼女でさえ、父の度重なる不条理な言動には、何度も本気で激怒していた。身内ですら愛想を尽かすほどの傲慢さと、病的な融通の利かなさ。それが父の本性だった。
外の世界でも、父は害悪を撒き散らし続けた。
ある日、オートバックスで店員の対応に理不尽なクレームをつけ、怒鳴り散らしたことを、父は恥じるどころか「ワシが教育してやった」とばかりに誇らしげに私に自慢してきた。他人を威圧して屈服させることに歪んだ快感を覚えるその姿に、息子である私でさえ心底、吐き気がした。
その結果、行きつけだったはずのカラオケ喫茶からさえ、ついに「出禁」を言い渡されたのだ。
店側にまで執拗に文句を言い続け、場の平穏を破壊するクレーマー。社会のルールさえ無視し、店主から拒絶されるほど、父の攻撃性は異常だった。
家族の中では暴君として君臨し、外では「関わってはいけない人間」として孤立していく。そして、社会から爪弾きにされた怪物の不満と攻撃の矛先が、すべて連絡窓口を引き受けていた私へと向けられていたのである。

なおえもん
外でもトラブルばかり起こす問題児だった
暴力モンスターである父との再同居という絶望
車を壊され、便利屋扱いされ、トラックで轢き殺されそうになり、さらには走行中の車内で暴行を受ける。これほどまでに危険で話の通じない男だと分かっていながら、私は2019年、妹の裏切りによって再びこの暴力モンスターと、一つ屋根の下に閉じ込められることになった。
かつて17歳の時に命がけで逃げ出したはずの「地獄」へ、40歳を過ぎて引きずり戻される屈辱。
「いつか本当に父に殺されるかもしれない」
その予感は、決して大げさな被害妄想などではなかった。
これまでの凄惨な20年間の記憶が、私に警鐘を鳴らし続けていた。
しかし、当時の私にはどうすることもできなかった。
当時境界性人格障害を抱えたパートナーからの過酷な搾取によって蓄えを奪われ、持病の自律神経も悪化し、私には自力で部屋を借りて逃げ出す資金も体力も残されていなかったのだ。 袋小路に追い詰められた私は、生き延びるために、あの暴力モンスターの父との生活を選ぶ以外の選択肢がなかった。
そして本当の地獄が、この同居によってさらに加速していくことになるのである。

なおえもん
父との再同居後に始まったさらなる地獄。記憶を飛ばした父に殺されかけた日々の記録(晩年DV・サバイバル編)はこちら
